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病気の回復(入院)について【脳腫瘍4】

画像リハビリ

以前の記事で関西の病院へ転院し脳腫瘍の手術とその後まで書きました。ではその続きです。

リハビリ病院の転院まで

手術をした病院では肺炎、胸水の治療後リハビリ病院への転院について話しがありました。内容は急性期病院の手術後約2ヶ月期間が終わりそうなのでの回復期のリハビリ病院への転院が必要との事。最近の医療は治療も早くまた患者が増える為、入退院の回転を早く自立する事と医療費対応のため自立へ進める為に期限を決めて転院するような感じです。

私は2ヶ月の最後の最後まで治療を続けていた為リハビリがほぼ出来ていない状況でした。当時を思い出すと車椅子生活で歩くのも平行棒を持って歩く、院内のオキュラスのゲームで簡単な上半身のリハビリをしていたくらいしか記憶がありません。当然ですが他の病気の治療を優先していたました。

病気の後遺症とか治療が苦しくて正直あまり記憶がありません。て感じです。でもどこでもそうですが医師や看護師さんセラピストさんには大変よくしてもらいました。

お風呂も数えるくらいしか入れず頭の傷か痒かった事は覚えています。

リハビリ病院へ

その後、リハビリ病院の担当者に急性期の病院に来ていただき、看護師さんとの面談を経て入院可能か判断いただきました。

いつ移動するか決めて、車で転院しました。

荷物の移動、看護師さんへの挨拶、書類の整理など済まして、両親に車で1時間程度の場所にあるリハビリ病院へ転院しました。

入院の手続きをして担当の医師、看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士(足の骨折など異常の少ない方は作業療法士のみの方などもいます。)の挨拶をいただき明日からのリハビリの話しをしました。

その時の状態は

  • 肌ボロボロ
  • 風呂に入れてない
  • 歩行器でギリギリ歩ける
  • 手術のため坊主
  • ご飯食べれてなくて激痩せ
  • 筋肉なし

こんな感じでした。

最初にしたことは肌がボロボロ(カサカサで粉もふいてるくらいエグい感じ)だったのでお風呂を入れる最大数にして(週3日)化粧水を持ち込んで清潔で入れることを意識しました。食事もまず言語聴覚士(嚥下なども見てくれる)と話して嚥下食ではくまず細かく切った食事にしてくれました。

本格的なリハビリへ

当時の生活はいくつか記事にしていますし、正直いろいろ経験しましたので後々記事にしていきたいです。

まず歩行の練習です。歩行器から離れセラピストさんに後ろに立っていただきただ歩く練習です。私は後遺症で左半身に痺れがあるのと小脳の運動失調があったのでバランスをとるのがすごい難しかったです。

上半身は細かい動き(糸通し)などの繰り返し、発音の練習(脳の手術の影響か一部の言葉が言いにくくなった)舌の動きの練習をしました。

歩行練習と別に基礎体力作りで体感と筋力トレーニングをメインでしました。

セラピストさんからしたら寝たきりだった自分の体はほとんど筋力が無かったのでしょう。周りはお年寄りの方しかおらず、みなさんマッサージ受けつつゆっくりな感じに見えました。

私は早く社会復帰したいって事もあって汗だらだらかくほどトレーニングしてました。体重も10キロ以上減っていたので許可が出てからは病院食だけではカロリーが足りないと言われ、売店でパンなど沢山食べ最大2週間で4キロ太り体重を戻しました。

リハビリの効果

それから自分では病院の誰より厳しい事をしていると思いながらリハビリを繰り返していました。

筋力面は元気だった頃より確実にありました。握力も左53、右57キロまで増えました。自主トレ?消灯まで廊下歩いたり、壁を使って柔軟、筋トレしたい毎日していました。

結果、振り返ってみるとこんなに歩けるようになったのかというほど歩けました。ジャンプやランニングの練習をしながら退院について話を進めていきました。

退院に向けて

実際退院まで約4ヶ月かかりました。リハビリのおかげで大分動けるようになったのと社会復帰のため就労移行支援などの見学も病院を拠点にしてもらい半月ほど見学にすることが出来ました。

大体3ヶ月くらいで退院は可能でしたが私は退職して関東から関西に移動していたので、社会復帰の一部を入院中セラピストさんと一緒にすることが出来ました。(もちろん入院費は増えます。)

外泊して書類の処理をして市役所やハローワークに行ったり、外出許可をもらって一人で公共交通機関を使って就労移行支援の体験や見学をして今後のプランを決めるまで入院しました。

社会復帰について

で私は障害手帳なし(申請前だし退院してないし術後半年もまだ)もあって一般求人する必要がありました。自分は自信もありましたが、思っている以上に脳腫瘍の後遺症や失調で配慮が必要でもちろん伝えるつもりだしその上でやれる事をやるって感じでした。

結果、就労移行支援は行かず、自分で活動することに決めて、退院日を決めました。

日常生活がリハビリ

退院が決まり、普通だったら入院中に外出しまくって見学に行ったりする人もいないようでセラピストさんにもびっくりされました。こんなに外出てる人はいないと言っていただけました。

また日常生活するだけで生きにくい部分が沢山発見があり生活するだけでリハビリだとも言われました。今確実にそうだと思います。

色々たくさんのアドバイスをいただきましたし、ここまで出来たのも自分の努力のおかげだと言ってもらえ自信になりました。

そして12月中旬に退院して今は色々できる事をしています。

私は最初の関東、関西全ての病院の医師、看護師、セラピスト、関係者、家族、友人、恋人のおかげでメンタルも全てにおいて頑張ることが出来ました。これに関しては運が良かったと思いますし全員に感謝しています。

これから

これから先の事は誰にもわかりません。私はただ社会復帰の為活動し続けます。健康は全ての源だと知りました。また病気なども全て経験です。乙武さんのメンタルや社会的な活躍は私の目標でもあります。

これからやれる事、世の為、自分の為にしていきます。

アメーン

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